6 知識が 意識を変える
感じ方というのは、人によって違います
知識を得ると、違う感じ方をするのです
「《1回目の私》と《2回目の私》は、違う人である」とも言えるんですね
《知識を得る前の私》と《知識を得た私》という違いが生まれます
知識を軸に式で表すと…
《2回目の私》 =
《1回目の私》+ 知識 - 知識(忘れた知識、しまいこんだ知識)
私の心が「震えない」「震える」というのを分けた元は、+ 知識です
まずは、「サンピエトロ大聖堂という建造物が存在している」と認知すること
そのもの自体を、認知していないか、認知しているか
テレビを観たことによって、私の脳みその「意識」がサンピエトロ大聖堂という建造物の存在を認知しました
そのことを、私は覚えていたから(意識のところにあったから)、「見よう」という意志が私に生まれました
たから、私は東武ワールドスクウェアのサンピエトロ大聖堂を「立ち止まって、しゃがみ込んで見る(実際の人の目線に近い状態で、大聖堂を見る)」という「行動」をしたのです
そしたら、私の〔普遍的無意識〕が「美しい」と騒いだのです!
この〔普遍的無意識〕には、たくさんの小人さん達がいます
たくさんの小人さん達は、私の中にいるんだけど、私が動かすことはできないんですね
たくさんの小人さん達がね、「美しいね~」っておしゃべりをしだしたんです
私の意識に、しゃべりかけてきたんです
こそこそこそ~、っておしゃべりです
落ち着くね~ ずっと見ていたいね~ 安心するね~ きれいだね~
って感じです
自然を美しい~って感じるのが、〔普遍的無意識〕です
私が自然を見ると、たくさんの小人さん達は、勝手におしゃべりするんですね~
だから、サンピエトロ大聖堂を私が見た時、私が自然の美しい景色を見ている時と同じようなおしゃべりをしたのです
芸術家は、たくさんの小人さん達がおしゃべりをするときのことを、よく知っているんです
「人々が何を見た時に、たくさんの小人さん達がおしゃべりをするか」ということを知っているんです
だからね、小人さん達が喜んでおしゃべりをするものを人工的に創っちゃうのが、芸術家なんです
サンピエトロ大聖堂は、アポロン的な造形芸術ということです!
整った美しさですね
私が、サンピエトロ大聖堂を「見てみよう」という意志がなければ、小人さん達はおしゃべりしません
《1回目の私》と《2回目の私》は、私がそのものを「しゃがんで見てみよう」という意志がないとあるとで、感じ方が違ったのです
「しゃがんで見てみよう」という意志を生み出したものは、知識です
〔普遍的無意識〕の領域は、人類に共通して、同じようなたくさんの小人さん達がいます
私の中にも、ミケランジェロと同じように、ホンモノのサンピエトロ大聖堂に引き寄せられる多くの人々と同じように、たくさんの小人さん達がいたということなのです
たくさんの小人さん達が、私の意識の世界にしゃべりかけてきたのは、私に知識があったからです
小人さん達がおしゃべりをするためには、まず、認知することが必要だったんですね
そして、テレビで得た知識も、さらに感動を増幅させます
「柱の彫刻には、こんな意味があって…」というような知識があるから、細かい所にも注目して私はその彫刻を見ます
そうすると…
たくさんの小人さん達がまたおしゃべりをします
そういった諸々の細かい知識も、感動につながります
なぜ、私がサンピエトロ大聖堂のことを思い出したかというと…
WEVERS に掲載されていたインタビューを読んだからなのです
ファンヒョン氏のインタビューです
復活!—お腹の中に蝶々がいる—で、2023年12月17日、「ONF は黄金比だ~!」って興奮気味に書いたのだけど…
あれを書いた直後、2023年11月21日 のWEVERS のインタビュー記事の存在に気付きました…

遅い~
トキメキながら読ませていただきました~💗
それで、そのことも含めて、次のページに書いていきます♬

タイムリミット…
今日はここまでです!
下書きはできているんですけどね…
知識があると、感じ方が違ってくる