ハンマーで哲学する②|土台を疑う勇気

宇宙の中に惑星が中央に浮かび、光り輝く。「ハンマーで哲学する#2土台を疑う勇気」の文字入り。

【2025.01.05|リライト 2026.01.05】

この連載『ハンマーで哲学する』は、ONF の世界を理解するために、自分の内面をニーチェのハンマーで叩いていった記録です。

このページは第2回(全10回)になります。

第1回の記事はこちら。

ハンマーで哲学する①|思考の冒険のはじまり

私は今の常識を疑いながら、これまでにたくさんの山小屋を造ってきました。

「そのうち、この場所は自分だけでなく、他の人たちにとっても“にぎやかな町”になるのかもしれないな。」

そんなことを想像しながら、造ることそのものを楽しんでいたのです。

ところが——

おかしなことがおこるのです。

「今の自分の力を出し切った。よし、いい山小屋ができた。」

そう思っていたはずなのに、しばらくして戻ってくると、山小屋が歪んでいる。

直したはずの場所とは、また別のところが歪みはじめる。

本を読み、造り方を学び、修正を重ねても、それでもまた、歪み続ける。

なぜだろう。良いものを造っていると思うのに。

前回の記事の冒頭で、私はそう書きました。

けれど、この一文目が、間違っていたのです。

何かを造るとき、大切なのは「土台」です。

私は、「自分がいるのが、丈夫な花崗岩でできた岩盤の上」だと思い込んでいた

この大地が「ヒトという動物の思考の土台」だと思い込み、何も疑っていなかった

つまり、私は、

ハンマーを使う必要があることに、まだ気づいていなかったのです。

ニーチェが他の哲学者と決定的に違うもの。

それは、ハンマーを使っていることでした。

多くの哲学者は、「自分は堅固な岩盤の上に立っている」と信じ、そこから世界を語ります。

「これこそが、人類の進むべき正しい道だ。」と。

ところがニーチェは、立ち止まりました。

そして—— 土台を、軽く叩いてみたのです。

中が詰まっているのか、空洞なのか、ひびが入っているのか。

音を聴き分けるには、知識が必要です。

ハンマーは、

ただ振り回せばいい道具ではありません。

軽く叩けば、密度が分かる。

強く叩けば、岩を砕くこともできる。

しかし、使い方を誤れば、道具を壊し、

内面を不用意に壊してしまうこともあります。

だからこそ、知識の出どころを間違えてはいけない。

ニーチェが今もなお、

世界中のたくさんの人々を惹きつけているのは、

この哲学が「本物」だからです。

ニーチェは、徹底的に調べました。

岩盤の発生の歴史

古いものと新しいものの違い

構成する石の組み合わせ

存在意味の変遷

ここに関わってきた人々の物語

そして、

「これは偽物だ」と見抜いたもの、

「これは歪ませるものだ」と判断したものは、

容赦なく叩き壊しました。

その一方で——

“大切なもの” を掘り起こし、

人々の前に示そうとしたのです。

これが、ニーチェの哲学の “力”。

このハンマー、叩けるのは “自分の内面” だけです。

他者ができるのは、「知識」を差し出すことだけ

知識」は、その人の “内面にいる哲学者” を目覚めさせます。

私たちの身体は、「多数の魂が共存する共同体」
その内側には、さまざまな情動が入り混じっています。
その中でも「善く生きたい」「あるべき姿へ向かいたい」という情動を、私は “内面の哲学者” と呼んでいます。

ここで、もう一度だけ、立ち止まらせてください。

もし、「このハンマーを持つ自信が、今はない」
そう感じたなら、
ここでページを閉じてもいいと思います。

ニーチェは、内面を非常に深く掘り下げています。
その視線に触れると、
自分の足場が揺らぐような感覚を覚える人もいらっしゃると思います。

だから私は、
「知らないほうが、穏やかでいられる」
そう感じる人がいても、不思議ではないと思っています。

ニーチェが、あえて分かりにくい言葉を選んだのは、
読む人を遠ざけるためではなく、
読む人を守るためでもあったのだと、私は考えています。

当時には、
深く内面を見つめた人の心を支える心理学は、
まだ十分に整っていませんでした。

けれど今、私たちは、
「心を守りながら、意味を見出すための心理学」を知ることができます。

私自身は、
フランクル心理学と出会ったことで、
知が力へと変わり、
希望を見失わずに立ち続けられる感覚を得ました。

もし、これから先へ進むなら、
こうした心理学を、
一つの支えとして持っておくことも、
決して遠回りではないと、私は思っています。

それでも、先へ進むなら——
ここから先は、
扱い方を誤れば、
強く揺さぶられる領域
です。

次回は、
「支配欲」を見ていきます。

ハンマーで哲学する③|支配欲という誤解