【2025.01.05 | リライト 2026.01.06】
この連載『ハンマーで哲学する』は、ONF の世界を理解するために、自分の内面をニーチェのハンマーで叩いていった記録です。
このページは、第5回(全10回)です。
悪だと感じる気持ち
↑遊具を自分のものにしようとしていた S くん。
怒鳴っている様子を見ると、悪いことをしているように感じられます。
舵を取るために 必要なもの
ここからは、「悪/善」という評価をいったん脇に置き、構造として人間の内面を見てみます。
S くんは、内面の衝動をうまく扱えず、怒りの感情の向かう先を見失い、そのまま怒鳴ってしまったのだと想像できます。
S くんには、
「舵を取るために必要なもの」が、まだ十分には育っていなかったのだと思います。
舵を取るために必要なもの。
それは、
■ 誠実さ
■ 徳
■ 知識・自己理解・時間
■ 精神的処理能力(耐性)
舵を取る側は、まず、「価値を創造する者」である必要があります。
自分の衝動をある程度統制できる、「自分自身の支配者」であろうとする姿勢です。
誠実さ
人間は、多数の衝動(魂)の共同体。
それらをまとめ、向きを変える役割を担うのが、誠実さです。
誠実さがあると、
衝動を観察し、方向づける余地が生まれます。
誠実さが弱いと、
衝動にそのまま飲み込まれてしまいます。
誠実さとは「善良さ」ではなく、
自分の力・衝動・限界を、できるだけ嘘なく引き受け続ける態度。
自分の衝動をごまかさずに見つめる、ということです。
Sくんは、「自分だけの世界を創造する快感を得たい」という衝動に、そのまま引き込まれてしまったのだと考えられます。
徳
ニーチェは『善悪の彼岸』の中で、徳を次のように捉えています。
「勇気の徳」
既存の価値観に安住せず、自らの道を切り開くための内面的な強さと決断。
「洞察の徳」
世界の表層に惑わされず、力や欲望の動きを見抜き、現実をあるがままに捉える知性。
「共感の徳」
他者の弱さではなく可能性を見つめ、その成長への意志を尊重する成熟した理解。
「孤独の徳」
群衆から距離を置き、自分自身の声を聞き取り、新たな価値を生み出すための創造的な孤独。
Copilot によるまとめを元に作成
これらは、衝動を創造的に使うための精神の器とも言えます。
「思考力」「判断力」「表現力」などの力もここに含めて考えることができます。
衝動を、高い次元で統制するための知的能力です。
Sくんには、他者を尊重する理解の姿勢や、状況をみつめる洞察など——
そうした徳が、まだ十分には育っていなかったのだと思います。
知識・自己理解・時間
「知識」「自己理解」「時間」は、
徳を育て、誠実さを深めるための条件になります。
知識は、
世界をごまかさずに見るための材料。
多くの知識に触れ、様々な視点から世界を見ること。
Sくんは、まだ、他人がどのような考え方を持つのか、別の視点から物事を見る知識が少ない段階です。
自己理解とは、
自分の衝動の質や強さ、そしてその限界を知ること。
自分自身についての知識を少しずつ集め、自分を知っていくことです。
Sくんは、まだ、「自分の内面の衝動」と「自分の立っている位相」を、十分には認識していません。
そして、時間。
才能があっても、理想が高くても、知識があっても、
時間を通らなければ成熟は怒りません。
Sくんは、まだ、経験してきた時間の短い子ども。未熟であること自体が、子どもの自然な姿です。
精神的処理能力(耐性)
衝動・誠実さ・徳・知識・自己理解・時間
これらをまとめて、舵を取る主体となる能力。
どこまで耐えられるか。
どこまで見えてしまえるか。
どこまで孤独でいられるか。
この精神的な強度が、人の位相の違いとして現れてきます。
ニーチェの言葉でいえば、
・高い位相(高位タイプ)
・強い精神
・貴族的本性
こうした表現で語られる力です。
ただし、これは善悪や価値の上下を意味するものではありません。
あくまで、適した役割・位相の違いにすぎません。
精神的強度が強いタイプは、内面を統御し、価値を創る方向に向かいます。
精神的強度が弱いタイプは、外側の秩序に従い、安心を求める傾向が強くなります。
私が「Sくんは “地頭が良い” 」と感じていたのは、この「精神的強度が強いかもしれない」という点でした。
精神的強度が弱い人は、内面の混乱に長く耐えることができません。
そのため、外側の秩序(宗教・道徳・権威)に身を委ねます。
内部がまとまりきっていないため、他者の価値に従うことで安定を得る。
これは、悪いことではなく、とても自然な反応です。
ただし、精神的強度が弱いタイプが、
自分の弱さを直視できないままでいると(自己理解が浅いと)、
支配欲が外に向かってしまうことがあります。
その結果、他者を巻き込み、価値を固定化し、文化が停滞するような状態が生まれます。
ここがとても誤解を生みやすい部分だと思います。
文化を停滞させようとしているのではなく、
構造が逆転しているために起こる結果なのです。
価値を創る人は、
支配欲が内側の「価値」や「秩序」に向かいます。
一方、価値に従う人は、
支配欲が外側の「価値」や「秩序」に向かいます。
■他者に同じであることを求める
「みんなが同じでいてくれたら、私は安心してここにいられる」
■価値を守ろうとする
「正しさ、慣習、規範、伝統…これらが揺らぐこと自体が不安」
■文化を継承しようとする。
「これが良いものだから、みんなに伝えたい」
悪意からではありません。
人は仮面をつけ替える存在——多様性
ここに「舵を取るために 必要なもの」を整理してきましたが、
本来、人の内面は、きれいにまとめられるような静かな構造ではありません。
いくつもの力がせめぎ合い、状況に応じて形を変えながら、
絶えず動き続けています。
そして何より、私たちの内面は「外側との関係」によって大きく揺れ動きます。
愛する対象の有無。
置かれた環境。
出会う人々。
それらによって、私たちはいつも変化し続けています。
だからこそ、どんな自分も否定せず、まずは愛し、理解しようとする姿勢が大切になります。
人は、さまざまな仮面をつけ替えながら生きています。
その時々で前に出てくる衝動(支配者)が異なるからです。
ニーチェの言葉では、
「人は仮面をつけ替える存在であり、どの仮面もその瞬間の真実である」
「仮面を愛する」というのは、
自分の多様な側面を受け入れ、
その動きを知ろうとすることなのだと思います。
自分のことを知り、愛する。
外との関係が内面を揺らすこと。
内面が外との関係を選び取ること。
この往復の中で、自分の衝動の流れを理解し、
その流れにそっと舵を与えていく——
それが、「舵を取る人」に必要な姿勢なのではないでしょうか。
悪だと感じる理由
ここまで見てきたことにより、
「なぜ支配欲は悪だと感じられるのか」という問いにも、一つの形が浮かび上がってきます。
本来、舵を取る側の支配欲は、
外に向かって他人を動かすためのものではなく、
自分の内面に向かい、衝動をまとめ、秩序を与えるために使われるものです。
そのとき、支配欲は「悪」としては感じられにくく、
自然な力の流れとして受け取られます。
内面の秩序がまだ十分に育っていないまま、
舵を取る側につくと、
支配欲は内側に向かいきれず、外へと漏れ出してしまいます。
その結果、他人を思い通りに動かそうとしたり、
価値や行動を強引にそろえようとしたりする形で、
支配欲が現れます。
つまり、
支配欲そのものが悪なのではなく、
それがどこに向かっているのか。
そこに、「悪だと感じられるかどうか」の分かれ目があるように思います。





でもやっぱり…
支配欲は「悪」だと感じるんだよね…