【2024.06.16】
ニーチェのニヒリズムとギリシャの美学、そして ONF の芸術から“苦しみを超えて生きる力”を探ります。
ニヒリズム
ギリシア人たちは「皮相的だった!深かったがゆえに!」
『愉しい学問』 ニーチェ
皮相的:表面・うわっつら・物事の本質に至らないこと(goo辞書より)
『美と深さの二重奏』
ギリシャの芸術は、洗練され、美的にとても優れていました。
でも、その表面的な美しさの裏には——人生の悲劇や苦悩が静かに息づいています。
たとえばギリシャ悲劇。
言葉は詩のように美しいのに、描かれているのは“運命の残酷さ”。
つまり、美しさ(=皮相的な側面)は、深い真理(=苦悩と洞察)を包み隠しているのです。
Chat GPT による要約を参考に作成
表面的な華やかさや明るさの背後に、深い真理や洞察(深さ)を隠している。
その二重性こそが、ギリシャ人の芸術精神なのですね。
ギリシア人たちは生きることの恐ろしさを十分よく認識していました。
それでもやはり人生を受け入れた——
それが、『悲劇』という形で表現されていたのです。
「生きることは、とことん悲惨だ」
そこに、ギリシャ人の強さと知性が見えます。
私は ONF の音楽にも、同じ ‟深さと美しさの二重性” を感じます。
何となく、ですが… 直感でそう思うんです💫
ONF の作品は、驚くほど洗練され、美しい。
でもその背後には、“悲劇性” や “苦悩” が確かにある。
ONF の美しさは、‟現実の苦しみ” を知っている美しさ。
私は、そう感じています。
だから…
私なりに解釈してみました!(^^)/
私はこの解釈にたどり着いた時…
心が震えました。
全身から喜びがあふれて、あまりにも大きな感動で、涙が止まらなくなったのです🥹✨
子供の頃からずっと、「分からない!」「怖い!」と思っていたことが、ようやく「分かった!」瞬間。
幸福感でいっぱいになりました😊
たどりついた結論
「生きることは、恐ろしいことである」
それが真理。
私たちが真理に近づくには、“科学” が必要です。
どちらを選択しますか?
苦しいことは、避けたいですか?
それとも、
苦しいことを、受け止めたいですか?
このブログを読んでくださっている方は、どちらでしょう?
「避けたい」「受け止めたい」
どちらの「衝動(欲・Want・~したい)」が勝ちますか?
科学的に考えることは、時にとても苦しい。
恐怖をともないます。
それでも、新しい世界へ行くためにも、そこを通るしかないのです。
現実を受け止める。
だからこそ、宗教や「奴隷道徳」は、その恐怖から “私たちを守るための優しさ” でもあるのですね。
けれど同時に、それは “現実逃避” でもある。

つまり、奴隷道徳がベースになっている私たち日本人の道徳も、現実から目を背けているということですぞ~💦
ギリシャ人は、苦しみを正面から受け止め、それでもなお、人生を肯定しようとしました。
その姿勢こそが “深いがゆえに皮相的” な美を生み出したのです🌿
もし「苦しみを避けたい」と思うなら、ここで読むのをやめてもいいかもしれません。
でも…
「苦しみを受け止めたい」と思うなら、この先の世界を一緒にのぞいてみましょう✨
真理へと導くものは、科学です。
「苦しみをしかと受け止め、人生を肯定する」
この意味が分かったとき、新しい世界へ行けるかも(^^♪
「苦しみを避ける方法」があります。
それが、「奴隷道徳」を信じ、科学を否定すること。
科学を否定するために必要なのは2つ。
1つ目は、「自分が考えない人間になる」こと。
考えると、苦しみや恐怖を味わうから。
だから、考えない様にすれば楽でいられるのです。
2つ目は、「自分が欲を持たない人間になる」こと(禁欲主義)。
「知りたい」という欲をもつと、真理に近づき、苦しみを味わう。
学ばなければ、恐怖と向き合わずに済むのです。
現実逃避の物語を信じる人は、「自分の人生の意味」を深く考えません。
考えないからこそ、苦しまない。
でも、それは“真理にたどり着けない生き方”でもあります。
だからこそ、私は思うのです。
「考えること」から逃げないで。
「知りたい」と思う衝動を、どうか抑えないで。
私も長い間逃げていました。
でも、考えることをやめないでいたからこそ、ようやくここまで来られたのだと思っています。
意味や価値を求める
私たちは、ふと考えることがあります。
自分が生まれてきた意味は何だろう?
自分の人生には、どんな価値があるのだろう?
「この人と出会うために、私は存在したんだ」
「この子を産み育てるために、生まれてきた」
「誰かの役に立つから、私はここにいる意味がある」
そうやって、私たちはそれぞれが “生きる理由” を見つけ、心を支えています。
私もそうでした。
「家族や周りの人たちと幸せになるため」
「愛され、愛する家族がいる」
そんな意味を見出すことで、安心を得て生きてきたのです。
けれど… よくよく考えてみると…
その “意味” も “価値” も、自分がつくった物語にすぎないのです。
「科学的」とは、感情や思い込みではなく、誰が考えても同じ結果にたどり着くような方法で物事を確かめることです。
たとえば、同じ条件で実験をすれば、誰がやっても同じ現象が起こる(再現性)。
そして、その現象には「なぜそうなるのか」という原因と結果のつながり(因果関係)がある。
この2つがそろって初めて、「科学的」と呼べます。
つまり、“科学的に導く”とは、感情をいったん脇に置いて、世界を客観的に見る視点をもつということです。
Chat GPT による要約を参考に作成
それでも、意味が分からない
人は、意味や価値がなければ生きられません。
けれど、どんなに考えても「なぜ自分が生まれたのか」は分からない。
深く考えるほどに、怖くなる。
「意味が必要なのに、意味が分からない」
——それが、私たちの抱える根本的な恐怖です。
だからこそ、
「考えない」「学ぼうとしない」ことで、その恐怖を避けようとする人もいます。
“自分が生まれた意味” を深く考えなければ、「分からない」という苦しみから逃げられるからです。
私たちは自然の一部
ニーチェは、哲学における「自然主義」的な立場を取ります。
つまり、人間も自然界の一存在にすぎないという考え方です。
人間は神の特別な創造物ではなく、
進化の流れの中で生まれた“生き物”のひとつ。
生理的作用も、物理法則の一部として動いています。
たとえば――
生物は「子孫を残す」という本能をもっています。
それは、“遺伝子の乗り物”として次の世代に生命をつなぐため。
つまり、私たちは遺伝子を運ぶための存在でもあるのです。

そんな、バカな!
…と言いたくなりますよね。
けれど、このことについては、『そんなバカな!(竹内久美子著)』や、『利己的な遺伝子(リチャード・ドーキンス著 日髙敏隆訳)』などで説明されています。
宇宙の法則、物理の法則、自然の流れに沿って、遺伝子はただ、次の「乗り物」へと受け渡される。
私たちは、その自然の流れの中で生きている。
そこに、“意味” や “価値” といった人間的な感情は存在しません。
物理的作用に、“意味” や “価値” はありません。
だからね…
人間が、「この世に生まれてきた意味」「この世で生きる価値」って…
ない
これが、「人間が生まれてきた意味」「人間が生きる価値」の科学的な結論。
だからこそ、見えてくる真実
生まれてきた意味はない。
生きる価値もない。
科学的に考えると、そう結論づけられてしまいます。
私たちは「意味」を求めずにはいられないのに、
科学的には「意味がない」と告げられる。
それは、とても苦しいことです。
けれど、この “苦しみ” こそが真理を知る入り口なのです。

これが、ニヒリズムという思想の1つだね~!
私たちに真正な知をもたらすものは、科学
とことん、悲惨ですよね…。
私たちが生きるためには意味が必要なのに、生きることに意味がない、って科学は結論づけるのですから…。
ギリシャ人たちは、この苦しみと正面から向き合っていました。
「生きるよりは、生きない方がいい」というペシミズムを経て、
それでもなお、「生きることはいかなる価値もない」とするニヒリズムに至ったのです。
ギリシャ人たちは、 “意味のない世界” を知り、それでも “生きよう” とした。
その姿勢が、悲劇の美しさを生んだのですね。
分かると、安定する
ニヒリズムを理解したことで、私の心は安定しました。
「意味が分からない」状態から、「意味がない、ということが分かる」状態になったのですね。
「考えても考えても、意味が分からないから怖い!」と不安だった心が、「ああ、そういうことか」と安定したのです。
抑圧していた無意識が、意識の光の中に出てきた—。
恐怖が消えたから、私は感動で涙が溢れました!

「意味がない」ことを受け入れる。

現実から目を背けない、ということですぞ~。
現実から目をそらしたまま、意味を見つけようとしても、心は不安定なまま。
抑え込んでいた無意識は、かたちを変えて恐怖として現れます。
けれど、苦しみと向き合い、現実を受け入れたとき—
心の奥に、静かな安定が生まれます。
その安定の上でこそ、私たちは “自分の意味” を生み出すことができるのだと思います。
現実から逃げるか、受け入れるか。
心を不安定にして生きるか、安定の中で創造していくか。
自分の価値を創り出すためには、まず「揺るがない心の土台」が必要なのです。
大切なのは、ここから
「生きることには意味がない」
その事実を知ったあと、どう生きるか。
それが、私たちに問われている “態度” なのです。
✨ジャーン!!!✨
ツァラトゥストラ 登場!!!!

私は諸君に超人を教えよう
ニーチェが『ツァラトゥストラはかく語りき』で描いたのは、
“自分で価値を創造して生きる人” の姿
つまり、他人や神に意味を求めるのではなく、自分で意味を生み出す生き方です。
宗教は、生まれてきた意味を教えてくれた存在でしたが、「優しい現実逃避」。
苦しみを発見し、苦しみを受け入れる。
意味がない、と知った上で、なお生きる。
生を愛する。
その態度こそ、人生の肯定。
「意味がない」世界を嘆くのではなく、
その事実を受け入れたとき、はじめて人は “創造する自由” を手にします。
ニーチェの言う〈価値の創造〉とは、まさにその自由のこと。
現実を見つめ、恐れを抱きしめた心こそ、
真に新しい意味を生み出すことができるのだと思います。
ONF と「悲劇の美」
ONF の音楽には、この “自分で価値を創る” 生き方が流れています。
現実の痛みを抱えながらも、それを否定せず、音に変えていく。
ONF の美しさは、現実逃避ではなく、現実の中で光を見つけようとする強さです。
美しさ(皮相的な側面)は、深い真理や洞察(深さ)を隠している
ONF の芸術性はまさにその二重性の中にあります
「苦しみをしかと受け止め、人生を肯定する」
ONF は、その生き方を体現しているように感じます。
だから、深い✨✨
そして、美しい💗💗




意味が分からない~!