いつの間にか‟恐れられる存在”に
私は育児休暇を取っていたので、少しの間、専業主婦と同様の生活をしていました。
子供たちの遊びを見守っている間、友達とのおしゃべりの時間が大好きでした。
子育てのこと、幼稚園のこと、将来のこと…。
悩んでいるのは私だけじゃないんだな~と共感でき、安心することができました。
ところが、結構な頻度で、話題の中心が変わっていってしまう…。
私には全く興味のない、ある<組織>の話になっていきます。
なぜ、多くの親は<組織>の話を持ち出すのだろう…?
最初は疑問に思っていました。
でも、育児休暇が終わる頃には、その理由がはっきりと見えてきました。
この<組織>…
この<組織>には、社会的偏見や抑圧が存在していて…
親たちは、自分の生活がめちゃくちゃにされるという恐怖でいっぱいなのです。
「生贄になりたくない!」
「軽傷ですませたい!」
多くの親は、自分が苦しまないようにするための方法を、一生懸命考えていました。
このことに力を注いでいるのです。
まるで、「社会の偏見や圧力に抗いながら、自分たちの大事なものを守り抜く」と言葉にした誰かたちのように。
そして、この社会的偏見や抑圧は、多くの親の真心を隠す、恐ろしいものでした。
なぜなら…
正直者になって、この社会的偏見や抑圧と真っ向勝負をしてしまうと、制裁を受けるからです。
親たちは恐怖に震えながら、この<組織>の話をします。
この<組織>に召集されることによって被害を受けるので、「困ったなあ」「自分はどうしようかなあ」と苦しみ、悩んでいます。
悩んでいるから、親はその話を持ち出しているのです。
様々なところから情報を集め、噂話も頼りにするほどです。
いかにしてこの<組織>による被害を最小限にするか…
生活を守るために力を注ぎます。
この<組織>はこう呼ばれています。
「PTA」 「父母会」 「親の会」

呼び方は様々なのですが、ここでは統一して「PTA」と表記します。
場所も、保育園、幼稚園から大学までいろいろなのですが、ここでは統一して「学校」と表記します。
ここでの PTA は、「ポイント制」や「くじ引き」などで、本人にその意思がなくても役員にならざるを得ない状況を生み出している組織、または、社会的偏見と抑圧によって役員を引き受けなくてはならない状態に追い込んでいる組織のことを述べています。
これを読んでくださっている方の中には、PTA の経験がない方もいらっしゃると思います。
でも、自分の親はこういう社会を経験している、身近な人はこういう社会にいる、自分もいつか経験するかもしれない、ということを考えながら、読んでいただけると嬉しいです。
いわゆる、「学校の子供たちのために、親がボランティアをするための組織」と言われているものです。
親になると、生活を左右する大きな問題として、のし掛かってきます。
多くの PTA ではこのような言葉で保護者を勧誘します。

学校の子供たちのために、できる範囲で、ボランティアに参加しませんか?
活動に参加すると、他の親御さんとも仲良くなれるし、学校のことも分かるようになるから、楽しいですよ。
親の頑張っている姿を見て、子供たちは感謝の気持ちを持つようになり、成長していきますよ。
子供の笑顔のために、できることをやってあげましょう。
先生たちはとても忙しいから、お世話になっている先生たちを楽にしてあげましょう。
ぜひ、私たちと一緒に活動に参加しましょう。
しかし、その裏で、親たちはこのようなことをつぶやいています。

「うちのクラスは下にも子供がいる親が多いから、私がやらないとだめなのかしら?」
「本当はやりたくないんだけど… やらないと他の人の目が怖いし、噂されるから…。」
「嫌なことは先に済ませる派! 年長や最高学年になってやると、卒園、卒業関係があるから面倒だもの。」
「こんなの絶対意味ないよ。 無駄だらけ! 必要ないから、なくしちゃえばいいのに。」
「親がストレスを抱えていたら、子供のためにならないよね。」
「みんなが苦しんでいるのに、何でこんな活動存在するの?」
「活動の日に、新幹線に乗って実家の母が来て下の子をみてくれることになったよ… 迷惑かけるけどしょうがない。」
「下の子を一時保育に入れたの…。 お金がかかるけどやらないといけないから…。」
「あそこに所属すると、ランチ代とか車のガソリン代とかの出費があるらしいよ。」
「自分の子供が学校で辛い思いをしてほしくない。やらないと、子供がいじめられるかもしれないし…。」
「子供が人質になっているから、やるしかないよね。」
また、こういう本音をつぶやいている多くの方は、その根底に、このような考え方が定着していました。
親になったら活動に参加することは「当たり前」のこと
だから、「仕方ない」とあきらめている
もちろん、喜んで活動に参加する人もいましたが、ごくわずかでした。
PTA の委員決めの場で、「参加できません」という意思表示をするのって、勇気が必要です。
「活動内容に賛同できないので、活動に参加できません」と本音を言ったら、どうなるか…。
もし、言ってしまうと、制裁が待っています!!

「変な人! 参加しないなんてあり得ない」
「すごいことを言う人がいるよ」
「やらないで、よく平気でいられるよね」
「みんな我慢して頑張ってるのにね」
「親がそういう態度だと、子供がかわいそう」
それはそれは、いろいろな場所で噂話をされ、場合によっては、子供も誹謗中傷の対象に…
悪口が及ぼす影響を想像できない親は、子供の前でも悪口を言います。
「うちは我慢して参加してるのに、Y ちゃんの親はやらないなんてひどいよね!もう、Y ちゃんのために見守り活動もしたくなくなるし、あなたも一緒に遊びたくなくなっちゃうよね!」と…。
そういう親の子供も、他人の悪口を言うように育ちます。
そして、「Y ちゃんの親は PTA をやっていないんだって~!ずるいね~!Y ちゃんと遊びたくないね!」と子供同士で話をされようものなら、Y ちゃんを傷つけることになるのです。
実は、この PTA という<組織>
親に向けられた社会的偏見と抑圧によって維持されている<組織>です。
偏見…かたよった見方・考え方。ある集団や個人に対して、客観的な根拠なしにいだかれる非好意的な先入観や判断。「偏見を持つ」「人種的偏見」
抑圧…抑制し圧迫すること。むりやりおさえつけること。「言論の自由を抑圧する」
goo辞書より
「他の人もやっているのに、活動に参加しないなんて酷い」という偏見
「あなたは保護者なんだから、PTA 活動に参加するのです」という抑圧
社会的偏見と抑圧は、【自由】のない社会に存在します。
【自由】については、Wish#1に書きました。
筆箱ルールの 落とし穴(Wish#1)—お腹の中に蝶々がいる—

【自由】の無い社会では、『考え方』に優劣ができる
「ルールを守りましょう」という刷り込みによって、違いを認められなくなり、他人の【自由】を奪うようになる
【自由】の無い社会は、ストレスや不安・不満を抱える人を作り出す
この PTA についても同じような説明になりますので、アコーディオンブロック(クリックすると出てくる状態)にして隠してあります。
ちょっと説明を加えた部分もあります。
【自由】について、こちらをクリックしていただくと、Wish#1と同じようなことが書いてあります。
↓
親は、子供のために、愛情を注ぎたいと考えています。
人によって『考え方』は異なります。

① 私は料理を作るのが好きで得意だから、手造りおやつとおいしいごはんで子供の健康を大事にしたい! 料理で愛情表現をするのが、私の幸せ♪

② 社会の中で人の役に立つ人になってもらいたいから、自分が社会で活躍している後ろ姿を見せたい! お金に不自由することなく生活を楽しみ、子供にも好きなこと・習い事をさせてあげるのが私の幸せ♪

③ 困っている人、助けを求めている人の役に立ちたいから、私はそこで頑張りたい! 自分の子供がいる学校のみんなの笑顔につながることをしたい! 自分の子供も、周りの子供たちにも、笑顔になってもらうのが私の幸せ♪
①②③の中で、どの考え方が1番良いと思われますか?
社会的に素晴らしいとされる行動はどれでしょうか?
③の『考え方』で、PTA 活動に参加するという人が、役員のなり手のいない組織の中で「素晴らしいですね!」と認められる。
そうすると、
③の PTA 活動 をするという『行動』をする人は、「認められている自分の『考え方』がより優れている!」と思うようになります。
自然と、①②の『考え方』は良くないことになってしまいます。
PTA 活動に参加しないと、「他の人もいろんな事情を抱えて我慢しているのに!」と周りの親から白い目で見られます。
③の人は認められている自分は優れている、異なる『考え方』は素晴らしくない、と考えるようになります。
PTA は、専業主婦の方が社会の中で認められ、自己有用感を感じることができる場でもあるので、この組織への愛着がさらに強くなるのだと思います。
社会の中でも、③の『考え方』『行動』が優れている、という空気が出来上がります。
魂の殺人(ある1つの『考え方』が優れている、とすることで、他の『考え方』がつぶされること)が行われてきたため、『考え方』に優劣ができる社会になっているからです
『考え方』に優劣ができる、ということは、『考え方』を同等に扱うことができていない、ということです。
違いを認められなくなっています。
本当は、ただ単に『考え方』が違うだけ。
これが1番良い、というのはありません。
①②③は、誰にも迷惑をかけていない『考え方』です。
①②③は同等に扱われないといけません。

なぜなら、私たちは、どのように考え、どのように行動しても【自由】だからです。
自分で考え、自分の幸せだと思うことをしたい、と願っています。
『心・考え方』と『行動』が一致する、というのは【自由】ということです。
人によって、感じ方、好きなこと、やりたいことは違って当然なはずです。
それなのに、③が優れているとされている社会の中では、①②はわがままになってしまいます。
①②の意見を公の場で言うと、制裁が待っています。
本当は、どのような『考え方』『行動』をしても【自由】なはずなのに!!
「他の人もやっているのに、活動に参加しないなんて酷い」という偏見
「あなたは保護者なんだから、PTA 活動に参加するのです」という抑圧
【自由】が無い社会では、社会的偏見と抑圧が生じ、さらに同調圧力が生まれます。
「みんな一緒に、素晴らしい『行動』をするのが正しい!」という同調圧力。
同調圧力が働くために、多くの人が PTA の会員となります。
制裁を受けるのを恐れて、多くの人が PTA の会員となります。
そして、①②の人は、『心・考え方』と『行動』が一致していないから、ストレスを抱えこむのです。
違いを認められなくなってしまった人、「無償で働いてたくさんの子供たちに愛情を注ぐ自分は優れている!この素晴らしい『行動』を多くの親がするべきである」という思想をもつ人によって、この<組織>は保持され続けています。
認められた自分は素晴らしい、この素晴らしい『行動』を他の人たちもすべきである。
自分を育てた素晴らしい親が愛情を注いできたこの<組織>の活動がなくなってしまったら、この『行動』が素晴らしくないことになってしまう。
これを変えてしまったら、自分や自分の親が優れていないことになってしまう。
このこだわりが組織を維持し続けています。
「ルールを守る人を褒める」という魂の殺人を受けてきたために、違いが認められなくなってしまった大人…
「ルールを守るのが正しい」という教育を受けた素直で従順な人は、他の人にも正しい『行動』をしてもらいたいと望みます。
そして、③は、社会の中で素晴らしい『考え方』『行動』だとされてしまう。
そうすると、①②の考え方は、社会の中で素晴らしくない『考え方』『行動』になってしまう。
【自由】のない社会の中で、
人々は、他人に自分の『考え方』を押し付け、
他人の【自由】を奪うようになります
貴族道徳は、我欲す(Want)
奴隷道徳は、汝なすべき(Must)
貴族道徳は自分の価値に従って生きる。
奴隷道徳は特定の価値を良いものとして他人を巻き込む。





親たちに向けられる社会的偏見や抑圧を防ぎ、自分たちの生活を守り抜く