「ルール」って 何?
と、Wish#1に書きました。

交通ルールを守っている子供を褒めちゃいけないの?
これも、魂の殺人なの?
私の文章を読んで、そういう疑問を持たれる方もいらっしゃると思います。
本来、「ルール」というのは、権利を守るためにあります。

交通ルール
感染を予防するためのルール
環境を守るためのルール
命を守るため
健康を守るため
未来の人類の生活を守るため
交通ルールを守ることで、みんなの安全、安心して生きる権利が守られる。
感染を予防するためのルールを守ることで、人々の健康を維持する権利が守られる。
環境を守るためのルールを守ることで、未来の人々が幸せに生きる権利が守られる。
人々が幸せに生きる権利を守らなくてはならないから、ルールが必要になります。
ルールを守るのは、社会の中で、人々が幸せに生きていく上で必要なことです。
つまり、ルールは人々を幸せにするために必要です。
「人々が幸せに生きる権利を守るために交通ルールを守る」
「人々が幸せに生きる権利を守るために PTA 活動のルールを守る(参加する)」
この2つを並べてみて、ずれを感じないでしょうか?
交通ルールは守らないといけません。
ルールを守らない人がいると、不幸になる人が出てきます。
ルールを守ることは正しいです。
PTA 活動のルールを守る(参加する)ことで、逆に、不幸に感じる人がいる。
参加しない人がいると、不幸になる人が出てきますか?
参加するというルールは、守らないといけませんか?

でも、私たちは、「ルールを守ろう」って教えられてますよ!!

その通りです。
「ルールを守ろう」と、多くの日本人は教えられています。

ルールは守らなくてはいけません。
人々が幸せになるために、必要だからです。
人々が幸せになるために、憲法・法律があります。
ルールを守ることは、正しいです。
でも、実は…
≪偽物ルール≫が存在していた!!!
日本には、「ルール」が2種類あります。
≪本物ルール≫ と ≪偽物ルール≫
≪偽物ルール≫ に、私たちは騙され続けてきてしまった!
≪偽物ルール≫ を、守ることも正しいと思わされてきたから、私たちは苦しんでいる!
人々が苦しむルール…
それが、 ≪偽物ルール≫ です
私が言っている「魂の殺人」は、
≪偽物ルール≫ を守らせようとし、褒める
という教育です。
ルールを守りましょう
日本は立憲政治を行っています。
立憲政治とは、憲法に基づいて権力を制限する政治のことです。
憲法に基づいて様々な法律やきまりをつくり、人々が幸せに生きる権利を守る
国民に主権がある=支配されていない
≪本物ルール≫ を守る、ということが立憲政治。
≪本物ルール≫ を守ることで、みんなで幸せになっていく。
≪本物ルール≫ は、支配を認めていません。
ここでいう支配は、「人々を苦しめる支配」
つまり、「自由を奪う支配を認めていない」ということです。
≪本物ルール≫ を守ることが正しい、とされている日本。
「ルールを守ろう」と人々に教えます。
このルールを守りながら、人々は行動しようとします。

これは、人々が幸せになるために必要な方法です。
だから、 ≪本物ルール≫ を守っている子供を、認めてあげましょう。
人々が幸せになるのですから~!!
でも…
支配されないことになっている日本で、支配者は、この「ルールを守ろう」という言葉を巧みに利用していました…。
支配者は、自分の『考え方』を「ルール」と名付けたのです~!!
≪偽物ルール≫ を突き付け、「ルールを守ろう」と人々に教えます
このルールを守りながら、人々は行動しようとします
つまり、支配者の『考え方』を「ルール」と名付けてしまえば、「ルールを守ろう」と言っている日本で、支配者の『考え方』に従わせることができる。
支配者は、抜け道を知っていた!!
支配者は、「ルールを守ろう」という言葉を巧みに利用し、自分の『考え方』を人々に刷り込んでいたのです。
つまり、
私たちは、 ≪偽物ルール≫も守りながら行動しようとして、実際には、支配者の『考え方』に従っている

さっきの PTA の話で、ボランティアを推奨する親が支配者になっているのは、何とな~く分かったような気もするけど…
でも、支配者なんていないですよ~!!

いやいや、存在していますよ~!!
あなたの すぐ近くに!!

「ペンケースは箱型にしましょう」と ≪偽物ルール≫ を突き付けています。
このルールは人々が幸せになるために必要なものではありません。
先生は、自分の『考え方』をルールと名付け、子供たちに守らせようとしています。
「ルールを守ってえらいね」と言って、魂の殺人を行う。
子供は、≪偽物ルール≫ と異なる『行動』をする『考え方』を認められなくなる。
違いが認められなくなる。
支配者が良しとする『行動』を大事にし、子供の『心・考え方』は大事にされない。
子供に自分の『考え方』を持たせないようにしている。
子供の『考え方』をつぶして、箱型を使う『行動』をさせようとする。
『考え方』と『行動』が一致しないので、子供は苦しむ。
『考え方』と『行動』が一致しない、というのは、【自由】が無い、ということ。

「遊具はみんなで使いましょう」と ≪偽物ルール≫ を突き付けています。
このルールは人々が幸せになるために必要なものではありません。
親は、自分の『考え方』をルールと名付け、子供たちに守らせようとしています。
「ルールを守るのですよ」と言って、魂の殺人を行う。
子供は、≪偽物ルール≫ と異なる『行動』をする『考え方』を認められなくなる。
違いが認められなくなる。
支配者が良しとする『行動』を大事にし、子供の『心・考え方』は大事にされない。
子供の自由な発想をつぶしている。
子供の『考え方』をつぶして、みんなで使う『行動』をさせようとする。
『考え方』と『行動』が一致しないので、子供は苦しむ。
『考え方』と『行動』が一致しない、というのは、【自由】が無い、ということ。
苦しむ人が出てくるルール つまり ≪偽物ルール≫
これは、
『考え方』の違いを認められなくなった親や先生によって作られたものだったのです
「ルール」という言葉を巧みに使って、自分の『考え方』、社会の中で良しとされている『考え方』を刷り込み、子供を従わせようとしている
違いを認められない大人が、子供を支配し、子供の【自由】を奪っていたのです
ルールには、
人々を幸せにする ≪本物ルール≫
人々を苦しめる ≪偽物ルール≫

この2種類があるのに、「ルールを守りましょう」という言葉によって、
≪偽物ルール≫ も守らないといけない、と思わされているということです。
≪本物ルール≫ と ≪偽物ルール≫ が整理されていない日本にいて、よく分からなくなっている…。
人々は、自分の『考え方』と異なる『行動』をさせられる。
つまり、【自由】を奪われる。
だから、苦しいのです!!
≪本物ルール≫ は、人々の自由、権利を守る
≪偽物ルール≫ は、人々の自由、権利を奪う
おそらく、多くの人は、 ≪偽物ルール≫ を守っている時にも褒められてきていると思います。
「ルールを守って偉いね、頑張っているね」と…。
親や先生の『考え方』に従っている状態を褒められて、育ってきた。
言い換えると、
従順になっている状態を褒められて、育ってきた。
「魂の殺人」…親の『考え方』に従っている状態を褒める
というのは、
従順な人をつくり出すためのものです!
私が Wish#1で引用した本のタイトルです。
魂の殺人 ~ 親は子供に何をしたか ~
アリスミラー著

何をしたか、って…
~ 親は子供に「従順な人になる刷り込み」をした ~
ってこと??
またしても~!!
本のタイトル通りになっちゃってる~!

「魂の殺人(従っている状態を褒めること)」を親や先生が行うことで、 ≪偽物ルール≫ を守らなくてはいけない、と子供たちも思わされる
支配者の『考え方』と異なる自分の『考え方』が、わがまま、間違っていると思わされ、子供は本音が言えなくなる
社会の中でも、 ≪偽物ルール≫ の『考え方』が優位になる
異なる『考え方』は、社会の中で認められないから、本音が言えなくなる
≪偽物ルール≫ を守るための『行動』を多くの人は大事にするので、支配者の『考え方』と一致しない『考え方』が大事にされなくなる
「他の人もやっているのに、活動に参加しないなんて酷い」という偏見
「あなたは保護者なんだから、PTA 活動に参加するのです」という抑圧
【自由】の無い社会で生じる偏見と抑圧により「あなたも私たちと一緒に、会員になりますよね」という同調圧力が生じ、さらに、制裁を恐れて、多くの親は PTA会員 となる
多くの親は、支配者の『考え方』でできた≪偽物ルール≫ を守ろうと行動して苦しむ
多くの親は、自分の『考え方』と異なる『考え方』に支配され、自分の『考え方』と『行動』が一致しない
つまり、【自由】が無いから苦しむ
さらに!!
「幸せになれない青鬼の心」(Wish#2)を、道徳心として刷り込まれた人々…
「苦しみ、我慢するのが当たり前だ」「自分が犠牲になることで誰かを幸せにすることができる」と思い込まされている
【自由】が無いことによって苦しんでいる状態に、疑問を持つことがない

社会的偏見と抑圧、同調圧力が存在する PTA 総会で、パチパチと拍手をさせられる~
本当はやりたくないと思っているのに、本音が言えない~
苦しいのに、制裁が怖くて、従わされている~
あの辺の外国や昔の日本は、
支配者に拍手をして、従順になって苦しんでいる社会…
PTA は、
支配者に拍手をして、従順になって苦しんでいる社会…
同じような状態です。
人々を苦しめる「ルール」と呼ばれているものは、 ≪偽物ルール≫です。
≪偽物ルール≫ は人々の【自由】を奪い、人々を苦しめる支配です。
≪本物ルール≫ は、自由を奪う支配を認めていません!!
つまり、
≪偽物ルール≫ でできている PTA の運営の方法…
日本で当たり前のように存在していますが…
これ…
本物ルールを違反しています
憲法が「個人の自由を保障する」とは、ひとりひとりが自分の意思で考え、選び、生きることを尊重するという意味です。
誰かの命令や支配によって行動を制限されることなく、自分らしく生きること。
それが「自由を保障する」ということです。
ただし、自由とは何をしてもいいということではありません。
他の人の自由とぶつからないように、お互いを尊重しながら成り立つのが、本当の「自由」です。
Chat GPT による要約を参考に作成
問題は、「同調圧力」や「制裁」を恐れて入会している方も多いのに、これを考慮せずに「本人の意思で入会していますよね!」とされてしまっていることです。
会員にならざるを得ない状況、No!と言えない状況に追い込まれているのに、「本人の意思」とされてしまうことを、問題視しなくてはなりません~!!

ルールを整理してみよう!!
私が ≪偽物ルール≫ と呼んでいるもの…
[ルール][マナー][モラル]が混ざってしまったことが原因の1つにあるように思います。
違いを認め合い、想像することや自分の頭で考えることが必要な事柄を、支配者によって「こうするのですよ!」と 教え込みが行われることで、 いつの間にか、≪偽物ルール≫ になってしまいます。
ルール・マナー・モラル
| ルール | マナー | モラル |
|---|---|---|
| 社会・組織などで正式に定められた決まり・規則。守らないと罰則やペナルティがある。 | 人と気持ちよく関わるための礼儀・作法。守らなくても罰はないが、周囲に不快感を与える。 | 人としての善悪の判断や道徳心。心の中のルール。 |
| 「誰が決めたか」が明確。強制力がある。 | 社会的な“思いやりの形”。地域や文化で違う。 | 誰も見ていなくても、自分の良心で判断して行動する。 |
| ・試合のルールに従う。 ・交通ルールを守る。 ・ルール違反で失格になる。 | ・食事のマナーを守る。 ・電話のマナーがなっていない。 ・公共の場ではマナーを意識する。 | ・モラルのある行動を心がける。 ・モラルが低下していると感じる。 ・モラルを問われる問題だ。 |
Chat GPT による要約を参考に作成
[マナー]良く、気持ちよくすごすためには、「感じ方が人それぞれ違う」ということを理解していなければなりません。
ここでも、「違いを認める」ということが大事になってきます。
その人の生まれ育った環境や、個人的な嗜好の違いなどによって、「不快」と感じるものが違います。
何を「不快」と思うかは、1人1人異なります。
だから、 人の『心・考え方』を<想像する力>が必要になってきます。
[マナー]は、子供の世界、大人の世界、それぞれが生まれ育った地域や時代の価値観などによって変化していきます。
また、その時の状況(通常時、緊急・災害時)(集団・個人)などによっても変化します。
変化に対応するためには、そこに居る人やその時の状況を、自分の頭で<考える力>が必要になります。
[モラル]は、環境や慣習などによって、違いが生じます。
本人の経験や、取り巻く環境によって周囲とのズレが生じやすいです。
「謙虚」は日本で良いこと、とされていますが、アメリカでは良いことではない、とされています。
周囲とのズレを解消するためには、そこに居る人の価値観など、人の『心・考え方』を<想像する力>、自分の頭で<考える力>が必要になります。
[ルール][マナー][モラル]ということを意識しながら生活するためには、人の『心・考え方』を<想像すること>、自分の頭で<考えること>、これらが、とても重要になります。

日本だと[ルール][マナー]であるものが、海外だとそうではないこともある。
また、例えばマスクは[エチケット]だったのに、今では、[ルール]もしくは[マナー]になったりもする。
[ルール][マナー][モラル]自体も変化します。
変化に対応するために、人の『心・考え方』を<想像する>、自分の頭で<考える>ということが、さらに、私たちにはとても大切な力になります。
ところが!!!
日本では、「魂の殺人」「教え込み」によって、多くのものが、 ≪偽物ルール≫ になってしまいます。
本当は、<想像すること><考えること>が必要なものでも、「ルールですよ」「こうやるのですよ」と、教え込まれてしまう。
子供たちも、ルールだから守ろう!…と思って『行動』するようになります。
≪偽物ルール≫ を守ろうとして、多くの方は『行動』しています。
そして、苦しんでいます。
これは、親や先生の『考え方』や社会の中で良しとされている『考え方』に従って『行動』している、ということです。
このまま育った大人は、同じように、「他人の自由を奪う支配者」と「支配される人」を造り出す社会を作ります。
違いが認められない社会は、考え方の優劣を生み出し、支配者と支配される人を生み出します。
従順な人は、≪偽物ルール≫ を守ろうとして、苦しみながら『行動』しています。

そのことが、顕著に表れているのが PTA だったので、例として挙げています。

親は、自分が受けた教育をそのまま、自分の子供にも施します。
つまり、大人も気付かないうちに、自分の子供に、従順な人になる教育を施します。
失われる 力
従順になると、大事な力が2つ、失われてしまいます。

1つ目は、<想像する力>です。
≪偽物ルール≫ を大事にする社会では、支配者の『考え方』に従った『行動』が大事になります。
支配者は、人々が正しい『行動』をすれば、それで良いのですから…。
人々が 「ルール」 を守れば、それで良いのですから…。
『心・考え方』を想像する必要はなくなります。
支配者にとって、従順な人々にとって、1人1人の異なる『心・考え方』は、ただの「わがまま」に見えます。
『行動』(支配者の『考え方』に従うこと)が大事にされる社会では、『心・考え方』は大事にされなくなります。
わがままは邪魔だから、必要ないから、<想像する力>は必要ないのです。
だから、従順な人になる教育を受けた人は、<想像する力>を奪われます。

2つ目は、<考える力>です。
≪偽物ルール≫ を大事にする社会では、支配者の『考え方』に従った『行動』が大事になります。
支配者は、人々が正しい『行動』をすれば、それで良いのですから…。
人々が 「ルール」を守れば、それで良いのですから…。
「その場に居る人の状況」を考える必要はなくなります。
従順な人々が「考えること」をするようになると、異なる『考え方』を持つことになります。
そうなると、「わがまま」が増えることになって支配者は困るのです。
『行動』(支配者の『考え方』に従うこと)が大事にされる社会では、「その場に居る人の状況」は大事にされなくなります。
わがままは邪魔だから、必要ないから、<考える力>は必要ないのです。
だから、従順な人になる教育を受けた人は、<考える力>を奪われます。
<想像する力><考える力>が本当は必要なのに、 「ルール」 として教え込まれると、どういうことになるかというと…
日常生活の中で、
普段から、
想像したり…
考えたり…
想像したり、考えたりする 【癖・習慣】
【癖・習慣】 が、身に付きません。
本当は、想像したり、考えたりすることができるのに、
<想像する 【癖・習慣】>
<考える 【癖・習慣】>
これが、身に付いていません。
だから、
従順な人になる教育を受けた人は、脳みそを使わなくなります
人の『心・考え方』を想像したり…
そこに居る人やその場の状況を考えたり…
環境や価値観などを想像したり、考えたり…
これを、しない人に、させられてしまっているのです

恐ろしい~!!
従順になると、考えなくなっちゃうんだね~!

他人事 だと 思っていませんか????

あなたも、日本で生まれ育ったのであれば…
かなり高い確率で・・・

従順な人になる教育を受けているのです

[マナー]や[モラル]を押し付けられる。
汝なすべし(Must)
奴隷道徳に染まっている支配者は、[マナー]や[モラル]を[ルール]と名付け、他人の自由を奪っているのです。
力の無い支配者は、自分に『想像する力』『考える力』が無いから、[ルール]を必要とします
自分に力が無いから、[ルール]と名付けて、特定の『考え方』に他人を染めようとしているのです
本物ルール と 偽物ルール を 分けてみよう!
人々が幸せになる「交通ルール」は ≪本物ルール≫ で
人々を苦しめる「校則」は ≪偽物ルール≫
気をつけなくてはなりません!
「校則」と呼ばれる中にも、「幸せになる校則」と「苦しめる校則」が存在します。
≪本物ルール≫ と ≪偽物ルール≫ が存在します。
整理されていないから、よく分からなくなっています。

廊下や階段の右側を歩きましょう
授業中、むやみに立ち歩くのはやめましょう
時間を守りましょう
安全、人々の幸せの権利を守るために必要。
これらを守らないと、誰かの幸せを奪ってしまうことがある。
迷惑になることがある。
でもね…
【行動を指示する】という方法は間違っていますね…!
「〇〇しましょう」は、アンドロイドを生み出す指令なのです。
廊下や階段を安全に歩くためにはどうすれば良いのか
授業中立ち歩くと、どういう影響を周りに与えることになるのか
時間を守ることの良さ、守れないことの原因は何か
などなど、テーマを与えて子供どうしで議論させ、自分の考え方を持たせることが大切だと私は考えています。

制服を着ましょう
ペンケースは箱型を使いましょう
遊具はみんなで使いましょう

違いを認められない大人が、身なりや持ち物を「個性」として認められなくなってしまっている。
これを守らないと、誰かの幸せを奪いますか?
迷惑になりますか?

あれ? でも、遊具をみんなで使わないと、遊具を使いたい他の子に迷惑をかけることになっちゃうよね??

子供の世界観(そこに居る人の価値観)を考えずに、大人の価値観を当てはめて「みんなで使うもの」と教え込んでいます。
「子供と大人の違い」を認めることができていない、と言い換えることもできます。
子供は「想像・創造の世界」にいます。
自由に「ごっこ遊び」をしているのです。
そして、S くんも、K ちゃんも、お互いの考え方や違いを知る、とても大切な機会です。
「自分と違う考え方をしている人がいる」ということを、互いに学ぶことができるのが、保育園、学校です。
幼稚園って学校なんですね😊
「みんなで使うものを独り占めしたら困る人がいる」「怒っても、相手に伝わらない」ということを、S くんが学び取る。
「遊具全体を使って基地を作る遊びがある」「怒るのには理由がある」ということを、K ちゃんは学び取る。
相手の考えていることを想像したり、どういう状況なのかを考えたりするために、必要な学びです。
こういう学びを通して、その世代に応じて、だんだんと[ルール]や[マナー]ができていきます。
相手の『心・考え方』を想像するのが、「思いやり」です。
遊具をみんなで使う『行動』は思いやりでしょうか?
これでは、人の『心・考え方』を想像できるようになりません。
「思いやり」は、『心・考え方』を想像することです。
相手の『心・考え方』を想像して現れる『発言・行動』が、「優しさ」です。
みんなで順番に使うのが優しい『行動』ですよ、という教え込みでは、人の『心・考え方』を想像することはできません。
「優しさ」は、『心・考え方』を想像して表現される『発言・行動』です。
「公共の福祉」とは、みんなが安心して、幸せに暮らすための“おたがいの思いやり”のことです。
自由はとても大切ですが、自分の自由が他の人の自由を傷つけてしまうと、本当の意味の自由ではなくなります。
だからこそ、社会では一人ひとりの自由を尊重しながら、みんなが気持ちよく生きられるように調整する仕組みが必要です。
憲法がいう「公共の福祉」とは、まさにそのための考え方。
自分の幸せも、誰かの幸せも、どちらも大切にする——それが「公共の福祉」です。
Chat GPT による要約を参考に作成
子供たちが過ごす公園や学校は、『心・考え方』の違いを学ぶ大切な場所なのに、
「ルールを守って偉いね」と 魂の殺人 を行ってしまったら…
「みんなで順番に使うのが優しさだよ」と 教え込み をしてしまったら…

どういうことになるでしょうか???
・・・
<想像する 癖・習慣><考える 癖・習慣>が身に付かなくなり、
脳みそを使わない人になってしまいます!!
人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ
ロバート・フルガム 著
これも Wish#1 で引用しました。
学びの場所・機会を 保障してあげましょう!!
本当は、本物ルールも子供たちで話し合わせるのが1番良いと思っています!!
みんなが幸せになるためには、どういう[ルール]が必要か。
なぜそれが[ルール]になっているのか。
自分の頭で考え、自分の考えを伝え、他人の考えを聞き、思考を深め、自分の『考え方』を持つ。
脳みそを使って、<想像する・考える 癖・習慣>を人々が身に付けることで、思いやりや優しさが生まれる。
脳みそを使って、<想像する・考える 癖・習慣>を人々が身に付けることで、 いろんな『考え方』を持つ人たちを理解しようとし、多様性を認め合える社会ができていく。
脳みそを使うことで、思いやりたっぷり、優しさがあふれ、1人1人が大事にされる社会ができていきます!!






ルールに従っている子供を褒める
これは魂の殺人です